当時、介護が必要な父親を抱えていたし私自身も病弱で、遠距離長時間の労働はできませんでした。自転車で5分でいけるDスーパーでパート募集していて応募し雇用されました。本当は、私はパソコンが得意なのでデータ入力とかの仕事を探してましたが、当時49歳でしたので、スキルの良否よりも年齢ではじかれていましので、仕方なくDスーパーです。 Dスーパーでは、上司のアホさ加減に情けなくなりましたし、たかだかパートに求める責任の重さにゲンナリしました。ただ、彼女が出来て、彼女との付き合いで張り合いができて何とか勤まりましたが、もし、パソコンの仕事が見つかれば秒速で転職してました。まったくムダではなかったと思います。大手スーパーの内情というのと大企業の人間関係のいやらしさがわかりました。また、この10年前にITYKというスーパーでも、ここは半年間ですが荷受のパートをしていましたが、どこも大企業は似たりよったりですわ。Dスーパーの凋落は本業以外に手を出したのが原因ですから、スーパーのみに絞っていれば凋落はなかったと思います。二束の草鞋は履きづらいんですね(^_-)-☆
< 質問に関する求人 >
求人の検索結果を見る
< 質問に関する求人 >
求人の検索結果を見る
< いつもと違うしごとも見てみませんか? >
求人の検索結果を見る