昔々は一つの法律であり、一つの組織です。 徒弟制度の厳しい古い体質の男社会でした。 そして 女性の髪結い(美容師)というのは、床屋の下働きをしていたおかみさんとか娘が多かったのです。 昭和初期電髪技術が輸入され、女性が高料金のパーマをかけるようになり、大先生と言われる大物美容師が出現してきたのです。 昭和32年、美容師が理容師法から分離独立して美容師法を作りました。 挙句に 出来る業務も二つに分けてしまったのです。 法律は二つになってもそれまで通り、何でも出来るものだと思っていたのは理容師だけだったのです。 昭和49年2月、美容師法違反だという美容業界の訴えを受けて厚生省が理容師のパーマ禁止の回答を出しました。 「それじゃ美容師のカットは理容師法違反だろ」 という反論になり 両業界協議し承諾したのが、二つある法律のすみわけを定めた(昭和53年厚生省通知)です。 理容師にはカットの伴った男性パーマだけを認め、女性パーマはX 美容師には女性カットを認め、パーマの一環ではない男性カットはX というものです。 現実には数年間、行政指導を受けたのは理容師だけです。 当時の普通の美容師には男性カットが出来る技術はありませんでした。 37年間、理容組合では美容業界に配慮して女性パーマやカットの講習をやりませんでした。 法律を遵守し、いがみ合いを避けてきましたよ。 組合のトップは平成27年厚労省通知にも異議を唱えませんでした。 今更女性パーマを許されても37年間のブランクはどうしようもないのですが、勲章欲しさに役所に逆らわないのでしょう。
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大昔の話しに戻りますが、 毛染め(ヘアダイ)・パーマー、は美容の業務。 顔そり(産毛剃り)・カットは、理容の業務。 しかし、理容店でも、パーマ・ヘアダイ、を業務として始め、 美容店も、顔そりをサービスで始めた頃が有りました。 同時に美容店もカットが仕事ですので、理容で使う長い鋏で無く、ミニ鋏を使うと言う違いを表して、男性のカットも堂々と始めました。 そこで、どこまでが理容の仕事か。 どこまでが美容の仕事か。 その線引きがアヤフヤになり、業界通しで争った時期が有ります。 それを期に、敵視する様になった経緯が、 仲の悪い根本的原因なのです。 私の祖父が現役の店主で有った頃には、 今の様に「低料金理美容店」の存在は有りませんでしたので、 組合に加入するのは当然、と言う時代でした。 ですから業界の力も強く、争いも目に見えた物になったのです。 現在の様に、組合未加入が大半の時代では無い頃から続いて居る事なのです。 少しは、参考になりましたでしょうか?
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