解決済み
二つの職業で大成している人間はいるでしょうか?社会人二年目の若輩者です 自分は一生これで食っていくと覚悟を決めてこの仕事をしたいというものがありませんでしたし、 自分はこの仕事をして世の中に貢献しなくてはならないという使命感を感じたこともありませんでしたし、 あるいは周りとの人との関係の中で、このような働きで存在感が出せるということもありませんでした。 なぜ、自分の仕事を何にすべきか、決めきれずに迷っているか自問しました。 怠惰が問題なのかとも思い、自分を責め続けて鬱状態も経験しました。 私は、自分が決めきれないのはなぜかということが、二つの理由に集約できると思い至りました。 ひとつは、様々な仕事に、程度の差はあれど甲乙つけきれないくらいの魅力を感じてしまうからです。 彩鮮やかな食料品、日々の生活を便利にする発明品、引き込まれるような出版物、テレビをつければ現れるお笑芸人の練り込まれた笑いのストーリー、日々の生活の中の資本である体の健康を維持する医薬品、経済活動やそれ以外の市民としての活動を支える行政サービス、そして様々なものやサービスを考える人々の心理とそこから生まれる大小の駆け引きなど、ありとあらゆるとまでいうのは恐れ多いですが非常に多くのことに関心が行ってしまいます。 そして、それらを発明、改良したり、あるいは売り出したり経営したり、あるいは演じたり競技したりするそれぞれの営みに非常に感じ入ってしまい、自分で担うことを想像してしまいます。 全てのものに同程度価値があると見做すこと、それは一方ですべての者が同程度無価値であることのように感じてしまうことでもあり、それ故に自分が何を生業とすべきか迷ってしまうというのが自分の本音です。 そしてもう一つの理由は、先に話した興味関心のある様々な仕事の中でも、自分が得意だと感じる職業が根本的に儲かる仕事ではなく、それが心のストッパーになってしまうからです。 習い事をあまりせず、しても始めたのが遅かった自分は、何をするにもある程度という感じでした。 そんな中で、一番昔から得意としかつその行為自体に喜びを感ていたことは、自分でできること。 音楽を作ることと、絵を描くこと。 しかしこの仕事で食べることは容易ではないという漠然とした不安があり、 かつ学業成績がほどほどに良かった自分は、リスクを取らないうえで、 やりたいことではなくできることを探していました。 そして、得意としていたことも、それを生業とする人の中で通用するかしないかを見定める前には慣れてしまい、今となては離れた時間が長すぎて、得意といえるものではなくなってしまいました。 二つの理由をまとめると 自分の「WANT」がぼやけてわからなくなってしまいました。 「WANT」のまま動くことにあこがれて、ただその「WANT」が何なのかさえわからないので動けないというのが自分の正直な胸の内です。 今まさに転職をしようと考えています。 前の会社とは違う事業をしている会社ですが、新たに入る会社でも前職に縛られシステム部門になりそうです。 生活を考えると、前歴を念頭に置いた仕事を考えざるを得ないのですが、 しかしながら、自分が本来的に得意としたりやりたいと思う以外のことをやること、 もっと言えばそのことひとつだけをやっていくことに、どうしようもない不安感を感じてしまいます。 なので、二つの全く異なることで大成した人の話を聞きたいと思いました。 大成といわずとも、二つのことをいずれかを趣味としてでもいいので満足して行っている方でも構いません。 そんなエピソードとそれを実現するための考え方を教えてほしいです。 ご自身のことでも知人の方でも、あるいは有名人の方でも構いません。 いずれ忘れてなくなる悩みなのかもしれませんが、それでも今この瞬間に真剣に悩んでいることを質問せずにはいられませんでした。 共感でも、あるいは厳しい言葉でも構いません。 とりとめのない質問文になってしまいましたが、 どうかこの不安感を塗り替えるような回答お願いいたします。 よろしくお願いいたします。
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お笑いと、小説で大成した又吉。タレントと映画監督で大成した北野タケシ。とかでよいのでしょうか?
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