解決済み
神父・牧師の恋愛観 このような職業の方って異性に恋したら、ダメなのでしょうか… 浅ましいとか、神への信仰を裏切ったとかそう思われてしまいますか? 職業や教会を迫害されてしまいますか? 『好き』と異性に伝えたらもうダメなのでしょうか…?
外国の方だから、恐々近寄っていったのを覚えています。 小学校のころに行っていた教会の神父さまが大好きでした。 優しいし、背が高くて、小さいころ『愛していますよ』って言ってくれました。両親に言われたことなんて一度もなくて、泣きました。 大好きな神父さまに告白されました。 こんなにぐるぐるとした気持ちは初めてです。
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カトリックでは、司祭=神父です。生涯未婚が条件です。なので、結婚したら、カトリック教会で、ミサ聖祭の司式ができません。神父クビです。でも、神父様も、生身の人です。密かな恋心は、あると思います。表面化=結婚したら、駄目です。 プロテスタントでは、牧師です。牧師は、女性牧師も居て、結婚に制限はありません。なので、普通に恋愛して、結婚して、家庭&子供が有る事が、多数派です。 カトリックの修道者(修道士&修道女)は、清貧、貞潔(生涯未婚)、服従の誓願をたてています。なので、結婚は、不可能です。また、修道士が、司祭に叙階すると、修道司祭になり、修道士と司祭(神父)の2つの顔があります。 修道者も、神父も、生涯未婚が条件ですが、刑罰のように強制されません。恋愛&結婚して、辞める事は、自由です。人生の選択は、当人の意思次第です。 質問者様に「愛している」と、カトリックの神父様が、言われた事は、神父様が、質問者様に淡い恋心を抱いたのでしょう。でも、司祭=神父の立場を維持する為には、結婚できません。誰でも、顔しか知らない人に、淡い恋心を抱く事があります。神父様とて、同じです。神様に召されて、捧げられた身ですが、普通の生身の人でもあります。私が行っているカトリック教会の神父様も、「30歳代の時が、一番、苦しかった」と! パウロ6世教皇様は、「私は、父としての愛を持って、司祭職にある不幸な兄弟達、不幸であるが、いつも愛すべき失い難い兄弟達の事を、大きな心配と悲しみを持って考える…」と! ヨハネ・パウロ2世教皇様は、「童貞性と独身生活の中に、貞潔は、その本来の意味を持っています。即ち、他者との交わりと、互いに自己を与え合う愛を真に表現し、その愛に仕える人間の性の本来の意味を持っています。この意味は、童貞性の中に完全な形で存在します。何故なら、童貞性は、たとえ結婚を放棄しても、来世で、最終的で完全な交わりと、自己贈与の予定表現である、イエス・キリストと、その教会との交わりと、両者への個々人の自己奉献をもって、身体的な花婿としての意味を実現するのです…」「司祭は、キリストに似た者でなければなりません」と! 厳しいですよね、神父様の立場は!でも、生身の人です。
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キリスト教はカトリックとプロテスタントに二分されますが、神父さんはカトリックで、牧師さんはプロテスタントです。 神父さんは異性との恋愛や結婚が禁じられていますが、牧師さんは男女ともに自由です。 カトリックのシスター(修道女)も神父さんと同様に、異性との恋愛や結婚が禁じられています。 (補足に対して) 神父さんは神さまの代理であり、牧師さんは神さまへの取り次ぎ役です。 従って、神父さんが「愛していますよ」って言ったのは、「貴女は何時でも神さまから見つめられて愛されていますよ」と言われたのと同じです。
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