解決済み
教員やインストラクター等、教育関係のお仕事をなさる(もしくは過去になさった)方々は、時代によって許容される指導方法が変わった場合、以前の流儀に「私は悪いことをした」と罪の意識に感じる事はあるのでしょうか?服装・髪型・所持品・行動等の制限(特に、通常21世紀では行われない指導)や、過度の厳しい叱責、生徒の前での喫煙等について、お尋ねします。 教育者の指導方法(ひいては生徒が関わる場での職場生活等)について、1990年代後半から2000年代にかけて、従来は許容されていた行為が厳禁になった例は多いです。主に表題のような件です。 なお、これは学校(一般の小中学校に限らず、入学時選抜を行う小中学校や、高校でも)に限らず、高校生以前相手の教育機関全て(学習塾やスポーツクラブなど)にも当てはまる事のようです。 となりますと、表題の件が気になります。 教育者の仕事をしていた時期に、この前後の時期が含まれる方々は、それ以前の流儀を「私は当時の生徒に、悪いことをした。申し訳ない」と罪の意識に感じる事が多いのでしょうか? 近年、各媒体では、報道・教養・娯楽を問わず、事あるごとに、「今の教育の場での指導方法は、昔(といっても戦前ではなく20世紀後半と思われます)と違う」とか、時代の変化に伴う指導方法の変化を扱います。 1980年代以前から教育のお仕事をされていた方々は、それらを読む・聞く・見るたびに、苦しむのでしょうか? 確かに、それらの中には、個々の教育者に責を問えないものもあります。 服装・髪型・所持品・行動等の制限が、その最たるものです。 これらは、通常は校則として規定されるはずです。故に責任は個々の教員ではなく、(当時の)学校に属します。 一応、直接の責任は、その長である校長にあるかもしれません。 しかし、彼(彼女)の独断で(まして個人的価値観で)それが決められたとは思えません。 故に当時、生徒の服装・髪型・所持品・行動等に関する「理不尽な」制限をとっていた学校の校長だった方が、個人的な責任を問われる事は、少ないのでしょうか? (それ以前に、当事者の方々は当時すでにご高齢で、2023年現在ではご健在ではないことが多いから、その責が、少なくとも2023年現在では問われないのでしょうか) 後、過度の叱責等は、同時期の同じ学校の教員でも、する人としない人がいたでしょうから、直接的に責を問えるかもしれません。 とはいえ、ネット上や媒体上でのお話は別として、教え子の方が、教わった先生ご個人や当時の学校等に、その辺のお叱りをなさる事は、イメージしにくいのです。 教わった直後数年間程度なら文句も言いやすいでしょうが、その先、特に「青年」の域ではない年齢に達した場合(特に所帯を持てたり、職業上安定した境遇の場合など)がそうだと思います。 人の親になっている(あるいは、なってもおかしくない年齢等)になってまで、ずっと昔の、その事を文句言えるでしょうか?体面上難しい気がします。 むしろ関心は、今の境遇での哀歓が多いと思われます。 いい母集団ではないかもしれませんが、50年ほど前の中学校の教え子と同窓会で会った元教員の方は、話題のコアは「教え子の成人後の境遇=順風満帆の人生ではなかった事も多い」と、ある新聞の投書でお書きになっていました。 その教え子の方は、仮に現在の中学校では、自分たちにあったような校則はないとしても、それを羨ましい、どうしてそうしなかったのか教えてくれ、と恩師に迫る事はなかったんでしょうね。 ただ、現在を含む後の時代の保護者の方が、先生方や学校に理不尽な文句を言って、それによる変化が、結果的に「時代による生徒指導等の変化」になってしまうのは、ご自身の学校時代へのご不満が、全くないと言い切れるのでしょうか? それとも、あくまでも、今の時代の「我が子」に理不尽な扱いは困るとか、今の時代に特有の(自分が当事者だった時代には無かった)危険から、我が子を守りたいからに過ぎない、だけでしょうか? それ以上に、「時代による生徒指導等の変化」の要因って、何でしょうか? まさか、うるさい保護者の要求に屈してしまっただけの事が多いなんて、ないですよね。 諸外国の動向とか、あるいは「児童保護」の意識の浸透度とか、その時点での児童・生徒が耐えうる限度の変化(必ずしも弱くなっているとは限りませんが)とか、それですよね。
大人の教え子と、先生が再会した際、教え子が笑いながら、「先生、服装・髪型・持ち物の検査は、今は許されません。謝ってください」と冗談で言い、それに先生が同じく冗談で「ごめんなさい」と謝罪することって、あり得ないのでしょうか? 成人後について「許せること」「冗談のネタ」の範囲内として、それを蒸し返す事は、ダメなんでしょうか。 それとも、成人後の教え子は、もはや若者ではない(まして青少年ではない)ので、そういう気の利いた冗談を言う余裕がなくなり、専ら大変な「現状」の事ばかり話題にする事が多いのでしょうか。
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中学の教員を長年やってきました。定年退職しだいぶたちます。 中学校の生徒指導の方法で大きな転機が訪れたのは昭和60年頃です。 きっかけは、「いじめ」や生徒指導の「行き過ぎ」による生徒の自殺などが大きく報道されたあたりからです。 まあ、生徒指導上の「体罰」は戦前からも禁止はされていました。決して合法的な物ではありませんでした。しかし、昭和60年頃までは、まあ許容されていたのです。よほどひどいものでない限りは。 しかし、水面下で問題になったり、警察が動いたこともないわけではありません。 しかし、周囲からの圧力でうやむやになったケースが多いようです。 警察に話しと(訴える)、体罰を受けた生徒を警察が呼んで事情を聞きます。しかし、その聞く内容は、体罰を受けた原因を徹底して聞かれます。 親もそうです。 警察は、体罰をした教師は正義の味方、悪い生徒、悪事を働いた生徒を懲らしめた、という立場ですから。 教師は熱心に指導したが、嫌な親に出くわして気の毒に、という立場です。 ですから、びんたの1発や2発は、当たり前、というスタンスが警察です。 しかし、昭和60年頃から、「死亡事故」が増えるにつれてそうも言ってはいられなくなってきたのです。 当然指導方法も変化しました。 また校則なども、見直しが始まりました。 昭和60年頃から平成5年頃までの期間は、中学の校則に大きな変化があった時期です。 校則が変わり、指導方法の見直しがなされれば、全体に変わってきますね。 また中学生の「問題行動」も変化が出てきました。 昭和の時代は「反社会的な問題行動」が中心です。 服装違反から始まり、ツッパリ、対教師暴力などが中心です。指導側もそれに応じた指導体制を取ります。 当然教師対生徒の軋轢も強くなりますね。 しかし平成5年頃からは、「非社会的な行動」に変化します。 以前は正面からぶつかる形ですが、今度は「後ろ向き」の行動です。無気力な、何にもしない、姿勢ですね。 教師側も指導にはやり方を100パーセント変えないと対応できなくなりますね。 以前は強硬派の男性教師が中心でしたが、これからはソフトな女性教師が対応するように変化していきます。 現在はこの非社会的な形が続いている様です。 不登校が増えているのも完全な逃避ですよね。 さて、指導姿勢の変化については、当然その時々の実情に合わせたものです。当然の事です。
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>時代によって許容される指導方法が変わった場合、 >以前の流儀に「私は悪いことをした」と罪の意識に感じる事はあるのでしょうか? 感じる必要はありませんし、実際僕は感じません。 その時々でベストを尽くす。それだけです。
なるほど:1
うーーーん、何とも言えん 例えば、自分が今まで生きてきて、道を間違えた、こうしたらよかった、結果を振り返り、こう思うことは、数えきれないほどある それをひとつひとつ、というのは難しいので、一つに絞って回答 私は塾にいた時に、タバコを吸った生徒をひっぱたいたことがあります 今では、ダメなのはご存じだと思う じゃあ、それは「ルールが変わったので罪の意識が芽生えましたか?」といわれたら、それも違うなぁと思います。 野球をやっていて、ボールがきたときと同じで、その時その場の状況判断なのです。あとから、考えたら、そら、カーブが来るとわかっていたら、行動は変わるかもしらん。でも、その時その場の自分が変わるとは思えんのです。 20年たったら、タバコを吸ったのを見つけた生徒の心に響く説教が出来たのかもしれない。でも、その時は、ひっぱたいた 罪かどうかは、実は他人が思うことなんじゃないかと思う 自分が思える事というのは、その自分から変われるかどうか 叩かないで済む器量を身につけられるかどうか 自分に余裕が無くて悪かったなぁとは思うかもしれないけど 罪の意識ということにはならないような気がします。 そういう変わる意識というのはあったと思うけど、罪の意識と言われるとピンとこない それが正直なところですね むろん、その時その場で、知らんふりしとこう、とは今でもさらさら思いません。他人やったら、別に何の気にもせんけどね。教え子とか自分の子はそれはやっぱり他人とは違う。
なるほど:1
>>時代によって許容される指導方法が変わった場合、 以前の流儀に「私は悪いことをした」と罪の意識に感じる事はあるのでしょうか? 【全くありません】 時代の変遷とともに指導内容・指導方法が変わるのは当たり前、というか「変えないといけません」 時代の変遷とともに生徒指導の価値観も変化します。過去と現在の指導を比較して優劣や是非を論じることはナンセンスとしか言いようがありません。 その時代の価値観をもとに、その時代ごとにふさわしい指導をしてきたはずです。 なので過去を振り返り罪の意識を感じるような指導などあり得ません。 その時代に即した指導を十分に論議し実施してきた自負心をどの教員も持っているはずです。
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