解決済み
現役教員の方、元教員の方、教育関係の方にお聞きします。 長文になります。 この30年、ずっと気になってることがあります。私は勉強嫌いの子でしたから、 成績は中の中くらいだったでしょうか、 ずば抜けて「デキル子」ではありませんでした。 普段の国語の授業でも、 作文など上手に書けることもなく、 ましてや、「読書感想文」など、今のこの年になっても、「読書感想文」の書き方が分からない始末です。 小学校4年生か5年生の夏休み、 毎年の如く、8月31日に「宿題終わってない〜」と、慌てて半泣きでやる有り様でした。 読書感想文が書けない、しかも、本すら読んでない私は、 最難関の宿題「読書感想文」を前に、途方に暮れてました。 以前適当に読んだ本の、感想ではなく「あらすじ」を適当に書いたら、 それを見た母が 「こんなのは、感想文じゃなく、あらすじを書いただけ!」 と、怒ってきました。 「どう書いたらいいか分からない。」 と言うと、 国語が得意な母は、あらすじを読んでスラスラと感想文を書き、 「こういうのが感想文。これを参考に、自分なりに書きなさい。」 と、感想文を渡しました。 見本を渡されても、どう書いたらいいかまだ分からず、 面倒臭くなった私は、 「ま、いっか。どーせ入賞は〇〇ちゃんか◎◎くん(成績優秀)だろーしさ。」 となり、母が書いた「見本」を丸写しして提出したら、 こともあろうに、私が入賞してしまいました。 丸写しして入賞した事実を知った母は激怒。 かなり吠えてました。 今だに、不思議に思うんです。 先生は、あの感想文を読んで怪しまなかったのか?と。 普段の私の国語の成績、作文の能力、感想文の能力。 国語を3の評価をつけるような子が、あれだけの完成度の高い感想文を急に書いてくることに疑問がなかったのか。 この話を読んで、実際教育現場にいらっしゃる方のご意見を伺いたいです。
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小学校教員なので小学生の場合でお話しします。 作文審査の際に、「指導」か「代作」かはいつも問題になると思います。教師の指導でこのような作文が完成したのか、あるいはほとんど教師や大人(親とか)の意図に沿って書きあげられた作文かということです。 私は丸写しは別として、ある程度、指導者の教え込み(こんな表現の仕方もあるんだよ。)があってもその結果、子どもが、「あ、その表現いいな。また今度、自分でもその表現を使ってみよう。」というような一つのきっかけになればそれがその子の表現力の高まりになると思うのです。 中学校の国語教師になった女の教え子と同窓会で話をしたときに、その子が「小4の時に書いた読書感想文が地区で特選になったことがある。その時の自信で国語の先生になりたいと思った。」と言ったのです。実は、ほとんど私の誘導尋問的な指導で作った作文だったのですが結果的にそれで彼女が国語に興味を持ってくれたのはよかったのかなとその時、思いました。 質問者様は「丸写し」したと書いておられますが、たとえ丸写しでも国語では「視写」(ししゃ)と言って視ながら書くことで表現力をつけることもあるし、おそらく子どもなりにお母さんの書いた物を写しながら感じたこともたくさんあると思うのです。その時はその時で、自分の脳みそをフル回転させながら何かを感じていたと私は信じます。 何十年か前の今日、何を食べたかは誰も覚えていないけど、その忘れてしまった食べ物の栄養分がその時の自分の体にエネルギーを与えていたのは事実です。 そう考えたらいかがでしょう。
なるほど:1
親が手を加えたというより、親の教育的指導によって書き上げたという認識だったと思います。
小学生の読書感想文は、親と一緒に考えるというのは想定内のようです。むしろ親と一緒に考えて書かれたものがほとんどかもしれません。構成を考えたり、言葉の選択を考えたり、ある程度大人の導きがあって当然だと思われているようです。 私はそれはルール違反だろうという思い込みがあったんで、我が家は、子供に自由に書かせて…と思っていました。が、どうしても子供の能力的に無理だなと感じ、夏休みも終わりに近づき、開き直ってとことん手伝った事がありました。まずは本を一緒に読んで、思ったことや不思議に思ったことを聞き出しました。それをもう少し掘り下げて考えさせたり、分からない所は調べたりして、またその感想を言わせました。それをノートにたくさん書き出し、そこから本のテーマや子供の感想に相応しい的確な言葉がないかを一緒に考えたり、新しい言葉を引き出したりして、最後にそれらを順番に並べ替えて全体の構成を整え…という風にがっつり手伝いました。子供の普段の文章力から考えると、明らかに親と一緒に書いた事は先生にばればれだと思いましたが、文章を書けない我が子が、今後文章を書く時にヒントになればと思ったのと、最低限宿題の提出をしなければという思いでした。 そしたらそれが学年代表に選ばれました。「あれ?親と一緒に書いたってばればれなのにな…」と思ったんですが、先生には学年代表として満場一致で決まりましたので清書をしてくださいと言われました。そして先生が最初に提出した文章に少し修正を加えた手本をくれ、それを子供が清書をして再度提出しました。「へ〜、選ばれた人はこうして一旦先生が修正を加えるのかぁ」と思ったんですが、それは学校や先生によると思います。それも学校の指導のうちなのでしょう。なので、大人の手助けは、そもそも想定内の事なのだなと思いましたし、むしろそうして家庭で大人が子供の読書活動に関わりを持つ事は良い事だと捉えられる場合もあるのだと思います。 そう思うと、選ばれる作品には本当に子供が一人で書いたものもあれば、大人が導いたものもあれば、きっと色々な過程があると思います。選ぶ先生や学校の捉え方も様々でしょう。 もちろん盗作はあきらかに駄目でしょうが、親の文章を子供が写して書くというのは、先生によっては大いにありなのでしょうね。
実は似たようなことがありました。 ほどほどにできる子でしたが、ちゃんとしている子ではありませんでした。 その子は、低学年のときに県で入選したんだとよく自慢していました。 中学年で私が担任となり、全員のものを読んだとき、やはりその子のものがよかったので、代表として出したら市の代表となりました。 その後、低学年で入賞した作品が盗作と判明。確認すると、完コピでした。 中学年で提出したものも完コピです。 発覚は3年後。作品集を読んでいた人が発見したらしく、管轄地域すべての学校に文章がいく大事でした。 かなりの枚数があり、よいものを提出するとなると、どうしてもスルーしてしまうと思います。 ただ、入選後バレた際は、かなりの大事になると思います。
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