解決済み
戦前、歩兵として徴兵された方々にお尋ねします。 または、徴兵されないまでも、旧制の中学校、師範学校などで教練を受けた方々も、ご存知でしたら教えてください。連日の異常高温のため、救急搬送される人々が急増し、命を落とす人もいます。 しかし、ご高齢の方々の中には「今どきの連中は、たるんどる!昔はクーラーなんかあるか!入営してみろ…、夏の演習でも、思い背嚢をかついで、行軍させられたぞ。」と精神論を説く人もいます。 さて、重たい背嚢、小銃を担ぎ、銃剣、弾倉を付けて、行軍を強いられた歩兵の方々ですが…、 演習中に、熱中症で倒れたら、どのような取り扱いを受けたのでしょうか? 上官から怒鳴られ、ぶん殴られるのが通例だったのでしょうか?
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日本軍は、日露戦争や日中戦争の時代から大陸の夏の猛暑とも戦っています。 (冬の極寒と同様に敵ですから 回避策はいろいろあります) もし国内の演習中にぶっ倒れたら、水を浴びせられて立ち直るのを待ちます。 リンチではないから、上官が弱兵を殴るようなことはしませんが、「甘えている」とみなされたら、連帯責任で兵隊だけ向かい合って相互ビンタです。 子供と老人が炎熱に弱いのはよく知られたことですが、戦前の教育は、小学生時代から長時間の歩行訓練を行い(もちろん季節の良いとき)身体を鍛えておきます。近所の大きな山に一日かけて歩いて登り、そのまま夜を徹して下山するなど朝飯前でした。 昭和に入ると中学生以上には、軍事教練の課程があって、背嚢代わりの重い荷物を背追って行軍する訓練をします。そこで鍛えられた青年達は20歳の徴兵検査で甲種となって 憧れの現役兵となって入営します。 そういう兵隊は少々の炎暑で何十キロもの重さの背嚢を背負って行軍しても倒れません。 戦争が進ん兵力が著しく足りなくなると、乙種や障碍者まで補充兵として徴兵されようになると弱兵が激増し、大陸打通作戦のように 行軍中にバタバタと倒れ、そのまま捨て置かれたそうです。 中国やビルマ、比島、中部太平洋にまわされた彼らの多くは亡くなっています・・ 結論として、日ごろから身体を鍛えている強兵が多ければ熱中症ぐらいでは倒れない。と
90超えた爺さんがこんなとこにいるわけないかと。
>戦前、歩兵として徴兵された方々にお尋ねします。 戦前にすでに歩兵となれば最低でも95歳近いので知恵袋にはいないかと。なりすましで良ければ雑談カテか知恵袋カテで出会えるかも。 >演習中に、熱中症で倒れたら、どのような取り扱いを受けたのでしょうか? 熱中症という概念がほぼ無かった時代ですから、怒鳴られて終わりでしょうね。貧血くらいと勘違いされたかも、ですが。
これに答えられる人は90歳以上だと思います、この欄を読んでいる方はおられるでしょうか? 私は過日朝霞の自衛隊の観閲式を見る機会が有りました、整列している隊員があちこちで倒れていました。 それを見越していたのでしょうか倒れた隊員を担架で運ぶと同時に同じ服装の隊員がその場所に入って何事も無かった様に式は進みました。 観客席からはこんなことで日本は守れるのかな?と言う声が聞こえてきました。
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