教えて!しごとの先生
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マドリード大学の大学院博士課程にいた。スペイン語の専門論文を一つも書いたことがなかったのに、博士をやったのは無謀だった。

マドリード大学の大学院博士課程にいた。スペイン語の専門論文を一つも書いたことがなかったのに、博士をやったのは無謀だった。博士をやるためには、論文作成能力を高める必要がある。会話ができる程度では話にならない。ともかく1ヶ月の間にスペイン語で6ヶ科目のレポートを書く能力がいる。スペインで博士になるのは易しいけれど、この短期間でレポートを作成するのが難しい。国立マドリード語学校(Escuela Oficial de Idiomas)のウナムーノの『Tia Tula』についての卒業論文の成績は、12人中の受験生では私が一番であった。 ただし、試験は他にもたくさんあり、文学批評の試験で不合格となった。日本人の大学教員クラスでこの試験に合格できる人はまずいない難関試験だ。合格する人でも五回ぐらいの受験は当たり前だ。私は一回でやめた。 スペインの大学で博士号をとるより、この学校を卒業する方がはるかに難しい。 以上が、私の13年にわたるスペイン留学の反省だ。アメリカの留学状況は如何なものか知りたい。

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回答(2件)

  • ベストアンサー

    ご質問に対する回答ではありません。Escuela Oficial de Idiomasというのを見つけたので、書き込ませてもらっています。 私はアンダルシアの某都市のEscuela Oficial de Idiomasのquintoに在籍して、今回のcursoでquintoだけで4年目です。正確には、登録して受講したのは初回のみ、あとはoyenteという形で授業に出させてもらっています。cuarto とquintoの間にある深い谷に落ち込んでいます。私の場合はこのレベルに必要な単語力が不足していること、わかっていてもどうにもなりません。劣等生です。最終試験に合格するのは私にとっては夢のまた夢ということはその一度の受験でわかったので、それ以降は授業で少しでも得るところがあればそれでいいというふうに目的を変えました。イタリア人のクラスメートも4年続けて落ちています。授業ではごく普通に生きているスペイン人ですら知らないような文法事項や、知ってたとしても使わないようなことをときにはやっています。「このcursoにでると、それまで持っていた自信をなくす」といってやめていった人が何人もいます。おととしの最終試験の合格者はきちんとスペイン語を勉強したイタリア人(上記のイタリア人とは別人)一人でした。9月の追試でもう何人か受かったようですが、合格率が低いことには変わりありません。 ですが来年ぐらいからsextoが設置されるので、そのための受講生確保のために去年の最終試験はレベルをかなり落として合格者を増やしていました。 それにしても、おなじEscuela Oficial de Idiomasというのに、ご質問文を読んでいるとマドリッドと地方都市ではレベルも試験もちょっと違うな、という印象を受けました。さすがマドリッドという気がします。 それだけです。ご質問と関係のない内容で、失礼いたしました。 「スペイン人の日本語コースの教師に落とされた」とのこと、残念でしたね。質問者さんのその回答を読んだわけではないのですが、残念というより、笑うしかないといったほうがいいですね。私のほうの日本語コースは中国人が教えています。受講生がネイティブの日本語話者と接触することを快く思っていないそうです。教えている自分の日本語が変だということが明らかになってしまうことを恐れているからといわれています。もし日本語の最終試験を受ける必要があるときはバルセロナのEOIで受けるのがいい、と私の先生がおっしゃっていましたが、やはりそうなのでしょうか。 私は私で最終試験は視野に入れず、ぼちぼちとやっています。 質問者さんのその道でのご成功をお祈りしています。

    なるほど:1

  • スペイン滞在者の回答には感謝している。 ケータイで質問したため、うまく修正・削除などができない、それで、今は、パソコンで投稿している。 国立語学校の卒業証書なんかほしくはない。それよりもスペイン語の国際会議で「ドン・キホーテ」について研究発表して国際的に名を上げたい。 私は、日本の大学入試は首席合格だった。国立マドリード語学校は編入試験を受けて、スペイン語と英語はcuartoからはじめた。ほかに、中国語とフランス語もやった。日本語はprimeroからはじめて、小学校卒業程度の日本語科の卒業試験で、スペイン人の日本語教師に落とされた。学校に文句を言ったが、通らなかったなかった。私が書いた日本語の作文の難解な表現がすべて間違いにされていた。あの学校のの卒業試験はインチキだ。スペイン語も日本語と同様、あの学校の授業や卒業証書は信用できない。出来ないやつが大勢合格している。文学作品を文法で解析するのは愚の骨頂。そんな勉強はやらない。スペイン人の大学教授が書いた文学批評の本は、文学的センスがなく、ロクなのがない。 当時のスペイン語科の主任教授は、学校創立者の孫娘でいばっていた。hacerse sueco(知ったかぶりの反対で、しっていてもしらないふりをすること)という慣用句が出てきたときは、「あなたのことです」とか私に言っていた。私を過大評価していた。卒業論文の口頭試問では、ほかのヨーロッパ人の学生の論文を、めちゃくちゃにけなしていた。泣きながら退出したドイツ人女子学生もいた。私は、試験をしている教室で控えていた。私の番になり、『これはけなされるな」と覚悟を決めて、試験に臨んだ。「あなたの論文は非常によく書けています」と私だけほめられ、拍子抜けした。だが、私には、他の受験生のような質問は一切なかった、「こんなやつに質問すると、とんでもない逆襲をされる」と教授陣は、私のことを怖がっていたみたいだ。 別科の授業で「あなたの国の正月について書きなさい」という宿題が出た。私にだけ担当教授が言った。「あなたの作文はよく書けているので、資料として保管したい。コピーがほしい」。 この作文は、大学院の詩学の授業の休憩時間にアカデミア正会員のカルロス・ボーソニョ教授に見せた.「!Usted escribe espanol como nosotros!」と院生の前でほめられた。 スペイン語の散文は、このようにほめられたけれど、私が作った韻文の詩は出来が悪いとけなされた。文学専攻ではないスペイン人の大学生に、私のこの詩を見せ、『誰の作かわかるか」とふざけて聞くと、「ガルシア・ロルカの作だろう」とか「アントニオ・マチャドの作だろう」かいわれた。「私が書いた」というと,皆、ビックリしていた。だが、専門家はごまかせなかった。 ボソーニョ教授は、当時のアカデミアの頭であったラサロ・カレーテル教授と並ぶマドリード大学の看板教授で、文学賞もとっている現役の詩人であった。 大学院の一年上には、年間最優秀博士論文を書いた「フクシマ」という日本人秀才がいた。私が日本人だとわかると、院生も教授も「フクシマを知っているか」と聞いてきた。フクシマとは面識はなかったので「帰国したら、ぜひこのフクシマに会いたい」と思っていた。日本では、教育テレビのスペイン語講座で、テレビの画面を通じて対面をした。フクシマとは、神戸市外大の福島教隆教授であった。 語学校の授業では、ヨーロッパ人の学生の先頭に立ち「皆、オレについてこい」という調子でクラスを引っ張っていた。先生とは、授業中、掛け合い漫才をやって、私は、クラスの人気者だった。他の教授からは『あなたは、少し勉強をすれば、クラスで一番になれるのに」といわれていた。授業の勉強は、ばかばかしくてやらなかった。授業中いるかいないかわからない、当てられても「わかりません」と答えるのが通例の存在感がまるでない、他の日本人学生からは『あんなに目立つのは日本人じゃない』といわれていた。 日本語のアマゾンの書評に、セルバンテスの「ドンキホーテ」について21世紀のドンキホーテというペンネームで感想文を書いておいたので、よろしく。

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