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哲学的な?

哲学的な?社会のルールついて教えてください。 ・世の中には「いかなる理由があろうがダメなもんはダメ」というルールがありますよね。 「人殺し・万引き・犯罪」などです。 どれだけ最愛の人が殺されようとも「犯人を殺す」事は許される事ではありません。 どれだけ家庭が貧乏で一円も無くても、「万引き」は許される事ではありません。 これに対して ・「悪気がなかったら良い(許される)」というルールもあります これは例を挙げれば、仕事中、病気で倒れて、その際に体をぶつけて大事な会社のものを壊してしまった。みたいな事です。 他にも、誰かを呼ぼうとして悪気なく肩をポンポンとやったら、「触るんじゃねえ」などと怒ってきた場合などです。 しかし、この2つのルールは矛盾していますよね? この境目ってどこなんでしょう。うまくこの矛盾を解いてくれる方、回答をぜひお願い致します。 ※社会人の方の回答をお願いします。未成年や被扶養者の回答は要りません

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回答(2件)

  • ベストアンサー

    少なくとも、後者の例は「悪気 がなかったら」の、条件がある 訳でそれに対し前者は理由の 如何を問わず無条件にの点で 相違がある為、そこが境目に 当たるのは確かで否めません 果たしてこの2つのルールは 矛盾してると言えるのか疑問 です。つまり両者を比較する 為の条件が同一ではないなら 比較対象には成り得ずそこに 矛盾は存在しない。どちらも それぞれ単独のルールとして 存在し意味があると考えます

  • 法律を学んでいるので回答できる範囲でお答えします。 まず、人殺し・万引き・犯罪は何があってもダメと仰られていますが、この点に問題があります。 人殺しも万引きも「故意」がない限り成立しません(以下概念上違いはありますが、「故意」と悪気は同じものとして考えます)。質問者様がいう人殺し・万引き等には既に悪気が含まれていると思いませんか?駅のホームで転んで他人を線路に突き落として殺してしまった場合、殺人罪が成立しません。「故意」≒悪気がないからです。そうすると、「悪気がなかったら許される」というルールが貫徹されていることになりますね。 人が罰せられるのは、してはならない行為だと認識しつつ、あえてこれを行うからです。「規範に直面しつつあえて行為に及んだ反規範的人格態度に対する道義的非難」によって、行為者の責任を追求できるわけです。そのため、してはならない行為だと認識していない限り責任の追求のしようがないことになります。したがって、故意≒悪気がない限り人は許されます。 なお、悪気がないとしても過失がある場合には罰せられることがあります。過失致死傷は最たる例ですね。日常生活でも、注意しないといけない場面で注意不足でミスをすると非難されると思います。したがって、「悪気がなかったら許される」というルールはその点で貫徹されていません。

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